ひなのんびより。

30歳独身男の徒然日記♪

男死高校生の日常

どうも、りつおです。

私の過去話、高校生編です。

皆さん大丈夫ですか?気分は悪くありませんか?
当ブログは不快度指数のギリギリを攻めていきますので、用法用量を守り正しくご覧下さい。

では、参ります。


私は男子校に通っていた訳なんですが、共学には見られない特徴がいくつかございますので紹介致します。


1.校則がゆるい

まず制服がありませんでしたので、毎日私服でした。
なので私はしまむらトップバリュの服を交互に着ていました。
あとは頭髪も自由だったので、染めてる人もそれなりにいたと思います。
私はそいつらを見て「ちょ、DQNとかウケるw」と毎日見下していました。
最初の中間考査で成績がそいつらより遥か下と分かった時、とても泣きたかったです。


2.女性がいない

女性がいないことで起きた事象として

・自己紹介では好きなAV女優と1日の自慰の回数を述べる。
・定期的に誰かが「やりてーーー!!!」と叫びながら廊下を激走する。
・文化祭の劇に鬼頭マンというキャラクターが登場する。

などがありました。

特にメリットはありませんでした。


3.応援団があつい

伝統ある応援団が特別な存在感を放っていました。
先輩やOBの厳しい指導の元、毎年新入部員はほとんど辞めて行くのが慣例となったいました。
団長は滝に打たれながら「楽勝!」と言いそうな風体をしていましたが、よくハレ晴レユカイの踊りを練習していました。


友人関係

残念ながら3年間を通じてクラスに親しい友人がいませんでしたので、昼休みは部室に行くor図書館に行くのどちらかの選択肢をとっていました。
些か寂しい高校生活ではありましたが、通学だけは同じ中学だった友達と3年間電車で通いました。
クラスにあまり馴染めなかった自分にはとてもありがたい存在でした。

後に小学生の時に転校した友達が同じ高校にいる事も知りましたが、3年間同じクラスにはならず、言葉を交わす事も無かったです…。
そして中学生の時のモテ男とは3年生で同じクラスになりました。
しかし、リア充を極めし者(金文字)という称号を持っていたので、やはり距離を置いていました。


部活動

部活は吹奏楽部に入部しました。
入部の理由は運動めんどくさい(カス)、何か楽器やりたい(雑)でした。
私はドラムセットが叩きたいと思っていたのでパーカッションパートを志望しました。
具体的にどんな楽器を演奏するかと言うと、マーチング用のスネアドラム、鉄琴、木琴、タンバリン、シンバルなどです。
珍しい楽器だと、シャラーンと綺麗な音のなるウインドチャイム(説明下手)や、のど自慢の鐘で有名なチューブラーベルなどを演奏していました。

年に1度、女子校に楽器を借りに行くイベントがありました。
なんせ学校内にはミトコンドリアをこよなく愛する生物の先生しか女性がおりませんで、現役のJKと触れ合うまたと無い機会だったわけです。
当時の私は胸をトゥンクさせながら自転車を爆走し、女子校が視界に入ったところで雌の匂いを察知しました。
さぁ召しあがろうとJKを目の前にした私は…

日本沈没です。
私は2度と浮上することはありませんでしたが、常に学年順位一桁の成績を取っていたパートリーダーは違いました。
なんと、JKという未知の生命体に対してとても流暢な日本語で会話を楽しむ姿がそこにはありました。
ちなみに22歳の時に部活メンバーで同窓会も兼ねた飲み会がありましたが、その時パートリーダーは言っていました。

「いや〜、セックソは気持ちいいもんでふねw」
とても死にたかったです。


成績

3年間を通してあまり芳しくなく、常にクラスの中間より下あたりを彷徨っておりました。
受験期に差し掛かっても塾には通わず、相変わらず進研ゼミで頑張っていました。
大学は一応国公立目指してましたが、センター試験大大大失敗(movie ver.)をしまして見事に全落ちしました。

まともに滑り止めも受けていなかったため、浪人が決定する事となりました…。
中学生の栄光はどこへやらといった感じでした。
高校の3年間彼女はいませんでした。

高校生編は以上になります。

本日もお疲れ様でした。